五行論と言うものがあります。 これは中国の古典的な哲学を基礎としておりまして、日本でも様々な伝統的な場面、武道であるとか、茶道花道、伝統建築、宗教、皇室行事などに伝承されております。 この五行は、木火土金水と言うことになる訳ですが、これも陰陽論と同じように、場面によって使い分けが必要になります。 その使い分けができるかどうかが重要になってきます。 五行は単体では、時間的な要素であり、絶対的な尺度となります。 現代科学とは異なりますので、古代中国の学者が、宇宙にも不確実性があるとは考えておりません。 そういうことを前提に考察すると、古代中国の人にとって、天体観測をすると、非常に精密に星が動いていて、寸分たがわず時を刻んでいるかのように見えたはずです。 そうした事を意識すると、月食や日食はもしかするとその天の絶対的な存在が消えてしまうかもしれない、恐ろしいことであったはずです。 流れ星や彗星に翻弄されても、基本的な星座の動きは変わらないわけで、やはり絶対的な存在であり続けたことでしょう。 その天に対して、地上では様々な現象が不確実におこります。 その不確実性を予測し、当地できたものが覇者となり、皇帝になっていった訳ですが、実は多くの中国古典は、皇帝が統治するために諸学者に様々な現象を研究させたものなのです。 資源の乏しい時代に、好き好んで人類愛のために研究をした偉人がいたと考えるのは、かなり無理がありますね。 必ずスポンサーがいた訳で、その最大スポンサーは、時の覇者であった皇帝であることが多かったのです。 また公邸に都合の悪い、書物は駆逐されている場合が多く、近年の出来事では、文化大革命で多くの古典的な書物が消失しております。 さて、そうした経緯の中、地上で起こる現象を観察するために、天文観測に基づく現象の分析が進みました。 つまり星の動きと、季節の関係性や、時間の概念がかなり精密に確立した訳です。 また、星を観測することで、方角が決定され、地域によって異なる気象現象や生物、植物、河川、地質の違いなどが研究されるようになります。 結果天の五行が地上に何をもたらすのかと言う発想に繋がり、そこから派生し、天の恵みと地の恵みによって、人や動物植物などの万物が育まれると言う天地人三才の原理が確立されていきます。 そしてここが中国哲学の面白いところなのですが、天の絶対性と地上の不確実性で育まれた万物にも、必ず天の要素と地の要素が存在し、その物理法則は変わらない物だと考えているのです。 ですので、万物の一つである人の体にも、天の五行の要素と地の要素が共存していると考えているのです。 これを天神合一と言います。 古代中国の人々は現象を通じて把握したことを哲学的に処理した訳ですが、その結論は、現代科学の最先端の宇宙科学や分子物理学的な発想に近いのが非常に面白いですね。 地球上のあらゆるものは宇宙に存在する物質でできておりますし、その物理的法則の中で育まれているのですから、まるで天神合一説です。 五行の具体的な性質は専門書に譲りますが、私たち漢方理論を重視する立場の者がこれを利用するときには、きちんと場面を設定する必要があります。 つまり時間的な要素で五行を重視する場合は、カレンダーを眺めて、日付を確認し季節気温湿度などを考慮しますし、人の五行を考えるときには、五臓の働きを考えなければなりません。 中国哲学では、天に五行があるように、人には五臓があるのだと規定しています。 この五臓は実質的な臓器だけを指しているのではありません。 天の五行の性質である季節や時間の移り変わりに身体機能が同期する時には、五臓が働くと考えており、その五臓は木火土金水の性質を有しているのです。 したがって、天の五行の働きである気象現象の移り変わりに身体機能が同期できない、ついていけるだけの体力を失った時に、人は死ぬのだと考えているのです。 ではどのようにしたら気象現象の移り変わりについていける体を手にすることができるのか、長生きできるのかと言う研究を深めたのが漢方なのです。 五行理論や五臓理論はかなりボリュームがありますので、ちょこちょこと書き加えていきたいと思います。