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漢方あれこれ

漢方と言うと「漢方薬」を思い浮かべる方が多いでしょう。 実は漢方は漢の時代に作られた医学体系全体を指すものであって、様々な医学書には漢方薬だけ取り上げている物の方が、むしろ少ないと言えます。 薬学、鍼灸学、外科学、運動学、気候、気象学、栄養学などが組み合わさったものが漢方医学です。 当院の鍼灸治療は、基本的に漢方理論に基づいております。 漢方理論と言うのは、気とか陰陽五行などのように、良く分からないけれどもなんとなくすごそうな物として、社会的には認知されていると思われます。 基本的には物理的な作用を用いて、様々な性質を体系的に分類したり、関係性を明らかにすることで、病気の盛衰を見極めたり、病気の原因を見極めて治癒させるための方向性を決定するために利用されるものです。 経験や知識、感覚的な修練は必要ですが、何か特殊な能力が必要なものではありません。 一部、特殊な才能が必要な場合もありますが、超能力者でないとできないものではないのです。 時折痛みや不快感を訴える場所と全く異なる治療店に鍼灸を行っても、効果が表れます。 これは超能力ではなく、漢方的な思考作業のなかに、きちんと法則性があって、さらに患者さんの生体反応がその理論い合致した結果、効果が得られているのです。 つまりそこには論理的な整合性が存在しています。 ちょっと難しいことを言ってしまいましたが、ようするに理屈があって、訓練をした人が施術を正確に行うと、効果が出せると言うことです。 そんなお話のあれこれを、ちょこちょこ紹介しようかと思っています。

漢方あれこれ。陰陽論

陰陽と言う概念が漢方にはあります。 中国の古典にはどこにでも出てきますし、日本伝統文化にも根付いています。 ですが案外多くの方に、浸透しているとは言いがたいようです。 と言いますのは、この陰陽は、どこに支店を置くかによって常に作用の異なる物事を対比しなければならないからです。 漢方では陰陽の物理的法則を基礎に、様々な生体反応を陰陽で表しています。 生体反応では水の動きと、物質の形態に重きが置かれていると言えます。 人体の70パーセントあまりは水ですので、その水の動きを客観的に観測することで、病の性質を判断しています。 簡単に説明しますと、 水の動きが活発で流動性が高まった状態は陽であり「盛」と言うことになります。 水は分子の動きが小さくなれば氷となり、大きくなれば水蒸気となります。 人の体でも水の動きが悪い状態は、停滞であり、寒であり陰「衰」と表現されます。 人の体の寒熱と水の関係性は非常に強いのです。 水の寒熱に対して、その物質的裏付けを表現しているのが、虚実と言うものです。 虚実は大商、多少、燥湿などとも表現されます。 これは、体積が大きいか小さいか、密度が大きいか小さいか、性質的に純粋化不純化を表現したものです。 体が大きければ大きな力を発揮しやすいし、小さければその逆となります。 体が大きくてもたいして運動もせずに、筋肉が足りなければ力は発揮できません。 体が大きいとか小さいとかの他に、栄養に偏りがあれば、やはり力は発揮できず、体が硬くなったり、軟弱になったりします。 こうしたことを表現するのに虚実は都合が良いのです。 このように陰陽は整体の反応を表すとき、水や物質的な条件を勘案して、寒熱虚実と言う退避の条件が与えられて、様々な人の体質を見極めるために利用されているのです。

漢方あれこれ。五行論

五行論と言うものがあります。 これは中国の古典的な哲学を基礎としておりまして、日本でも様々な伝統的な場面、武道であるとか、茶道花道、伝統建築、宗教、皇室行事などに伝承されております。 この五行は、木火土金水と言うことになる訳ですが、これも陰陽論と同じように、場面によって使い分けが必要になります。 その使い分けができるかどうかが重要になってきます。 五行は単体では、時間的な要素であり、絶対的な尺度となります。 現代科学とは異なりますので、古代中国の学者が、宇宙にも不確実性があるとは考えておりません。 そういうことを前提に考察すると、古代中国の人にとって、天体観測をすると、非常に精密に星が動いていて、寸分たがわず時を刻んでいるかのように見えたはずです。 そうした事を意識すると、月食や日食はもしかするとその天の絶対的な存在が消えてしまうかもしれない、恐ろしいことであったはずです。 流れ星や彗星に翻弄されても、基本的な星座の動きは変わらないわけで、やはり絶対的な存在であり続けたことでしょう。 その天に対して、地上では様々な現象が不確実におこります。 その不確実性を予測し、当地できたものが覇者となり、皇帝になっていった訳ですが、実は多くの中国古典は、皇帝が統治するために諸学者に様々な現象を研究させたものなのです。 資源の乏しい時代に、好き好んで人類愛のために研究をした偉人がいたと考えるのは、かなり無理がありますね。 必ずスポンサーがいた訳で、その最大スポンサーは、時の覇者であった皇帝であることが多かったのです。 また公邸に都合の悪い、書物は駆逐されている場合が多く、近年の出来事では、文化大革命で多くの古典的な書物が消失しております。 さて、そうした経緯の中、地上で起こる現象を観察するために、天文観測に基づく現象の分析が進みました。 つまり星の動きと、季節の関係性や、時間の概念がかなり精密に確立した訳です。 また、星を観測することで、方角が決定され、地域によって異なる気象現象や生物、植物、河川、地質の違いなどが研究されるようになります。 結果天の五行が地上に何をもたらすのかと言う発想に繋がり、そこから派生し、天の恵みと地の恵みによって、人や動物植物などの万物が育まれると言う天地人三才の原理が確立されていきます。 そしてここが中国哲学の面白いところなのですが、天の絶対性と地上の不確実性で育まれた万物にも、必ず天の要素と地の要素が存在し、その物理法則は変わらない物だと考えているのです。 ですので、万物の一つである人の体にも、天の五行の要素と地の要素が共存していると考えているのです。 これを天神合一と言います。 古代中国の人々は現象を通じて把握したことを哲学的に処理した訳ですが、その結論は、現代科学の最先端の宇宙科学や分子物理学的な発想に近いのが非常に面白いですね。 地球上のあらゆるものは宇宙に存在する物質でできておりますし、その物理的法則の中で育まれているのですから、まるで天神合一説です。 五行の具体的な性質は専門書に譲りますが、私たち漢方理論を重視する立場の者がこれを利用するときには、きちんと場面を設定する必要があります。 つまり時間的な要素で五行を重視する場合は、カレンダーを眺めて、日付を確認し季節気温湿度などを考慮しますし、人の五行を考えるときには、五臓の働きを考えなければなりません。 中国哲学では、天に五行があるように、人には五臓があるのだと規定しています。 この五臓は実質的な臓器だけを指しているのではありません。 天の五行の性質である季節や時間の移り変わりに身体機能が同期する時には、五臓が働くと考えており、その五臓は木火土金水の性質を有しているのです。 したがって、天の五行の働きである気象現象の移り変わりに身体機能が同期できない、ついていけるだけの体力を失った時に、人は死ぬのだと考えているのです。 ではどのようにしたら気象現象の移り変わりについていける体を手にすることができるのか、長生きできるのかと言う研究を深めたのが漢方なのです。 五行理論や五臓理論はかなりボリュームがありますので、ちょこちょこと書き加えていきたいと思います。