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ここまで分かった鍼灸医学-基礎と臨床との交流 脳機能および中枢神経疾患に対する鍼灸の効果と現状

鍼刺激と大脳皮質局所血流

 

 鍼灸やマッサージで、なぜ精神的な症状に効果があるのかと、疑問に思われる方々が多いのではないかと思います。

鍼灸の現代医学的な作用についての基礎研究はこちらをご覧ください。

自律神経失調症の鍼灸についてはこちらからどうぞ→

人間の体は、心の動きに応じて様々な変化をします。

嘘をつくと表情が変化したり、汗が出たり、体の一部分が不自然な動きをしたり、身体内部でも、脳細胞の働きによる、様々な神経伝達物質の影響で、血圧や心拍数の変化が起きたりします。

漢方医学では、そのような身体の反応と精神状態の関連性を、気の遠くなるような時間をかけて分類してきました。

もちろん、古代中国に科学的な検査ができるような、研究設備があった訳ではありません。

けれども、何時、どのような季節に、どのような人が、どういった理由で、どのような反応を示し、結果的に病的な状態に陥ったのかを詳細に分析するための指標が、その患者さんの体そのものに現れることを繰り返し観察してきた結果、集大成となって現代にも引き継がれていることは、決してないがしろにできません。

また画期的な考え方として、、精神状態の変化には、その人が先天的に持ち合わせた人の特性によるもの、食事、気象変化、人間関係など、外部との関係性において、形の有無に関わらず自ら摂り入れて消化するもの、先天的後天的に総合してその人自身が持ち合わせた肉体と精神の力の調和が今どのような状況にあるのか、という視点に立ったものなど、多角的な視点で問題を認識し、解決しようとすることが上げられます。

例えば、良好な人間関係を形成していても、満足な食事を摂取できなければ、精神の安定を欠き、周囲に精神的な調和を計ることのできる人が集まっていても、どうにも水が合わなかったり、また精神状態や肉体の健康状態を総合した時に、今耐えることのできる試練はどの程度許容されるのだろうかなどということを、総合的に考慮するものです。

漢方の学術書には、精神状態の変化と身体の反応について多くの記述があり、その身体の反応を改善するために、鍼灸やマッサージを施し治癒に向かわせる方法論にも言及しています。

当然の事になりますが、鍼灸マッサージを行い一時的な改善が見られても、根本原因が除去されなければ、決して回復はいたしません。

施術によって身体に現れた各種の病的な反応を治すことと、心を病んだ原因を解決することは異なり、もう一歩深く踏み入らなければならない問題です。

ただし、鬱々としていたために胸が苦しく、やる気が起こらなかったものが、施術によって胸がすっきりし、やる気が出やすくなる状況を作ることは可能です。

その上で、鍼灸マッサージだけに留まらず、食事や運動を適切に行い、心の安定に寄与できるよう、アドバイスを行うことが重要となります。

しかしながら、現実の人間関係や労働条件、持ち合わせた体力や精神力は簡単に改善できるものではなく、時をかけて、自らが生きる力を獲得するために、一つ一つ取り組んでいく必要があります。

私たちは、体力・精神力・季節や食事や人間関係・生活スタイルを多角的な目で観察し、最善の施術を行えるよう心がけています。

現代人の多くは、生物としての人として、決してそぐわない生活を余儀なくされている方がほとんどです。

睡眠時間の短縮、運動の機会の減少、季節感の乏しい食事、昼夜を問わない不自然な労働を始めとした活動、環境汚染など上げればきりがありません。

そうした中でも、は現代日本の代表的な精神疾患として上げることができ、社会的な背景が影響していると考えられます。

インターネット、モバイル端末、テレビ、雑誌など、様々な情報ツールを通じて厖大な量の知識を得ることができる世の中で、一体全体何をすべきなのかという、価値基準が不明瞭になってしまうかのような錯覚を起こしても不思議ではありません。

【漢方で考える情報処理・精神活動について】
「魂」(木)
進行・上昇・拡大など、積極的な要素です。
具体的な現象を伴う実体を示す能力を有しており、意識を伴う全ての行動のスタートボタンとされています。
事を成し遂げる為の堅牢さと状況変化に対応出来る柔軟性を併せ持っています。
具現化能力、柔軟堅牢、深謀遠慮

「神」(火)
全体を統御し、融和を図ろうとする君主としての性質があり、外部からの情報に即応し、感情を発露します。
明朗快活で情報の入出力を管理します。個性「感情」を外に向けて表現する能力を有していると共に、外部から取り入れる情報の全てを私心を交えることなく率直に振り分ける能力をも有しています。

「意」(土)
現在処理中の情報の事で、物事を認知・定位する働きです。
意識の事であり、今起きている現象を五感や思考などを通して率直に規定づけて情報処理している実態の事を指します。
この能力の特徴は、同時に複数個の情報を並行処理出来ることです。
人は認知していなくても、複数の情報が眼や鼻、耳など感覚器から送られています。
その多元的な情報を同時処理すると共に、複数の感覚器官から送られてくる多量の情報の中から、認知する為に必要と思われるものを選択的にデフォルメして処理しているのです。
更に、多元的な情報処理過程の中から、統括する意識のメイン画面に位置付ける必要があるものは一体何かという視点で、必要な優先順位に基づいて一応単一の場を選択し同時処理している中でも、そこに処理能力を多く配分することも出来ます。
くわえて、必要に応じて他の回路に切り替えることによって情報の混乱が起こらない様に調整をするという働きをも担っています。
意の働きが損なわれると情報に翻弄されたり、重視すべき情報処理過程に切り替えることができず、、多重人格や精心分裂症などの病状を示す様になります。

「智」(土)
一時記憶のことです。
「一時的な保管」ですが全ての情報を取得して、一定時間そのままの状態で保存・管理します。 ”土智”は外部から入力された情報そのままを記憶として保管するという働きをしています。

「魄」(金)
ある情報に対して私心を持たず反射的に対応します。
様々な感覚を人は全身で感受していますが、”金魄”の厳格で清廉潔白を第一とし、情報の無駄を削ぎ落として整理整頓した形に機械的に整えようとする働きにより、効率よく情報に対して反応できます。
意識を伴わない反射的反応=「本能」に至る場合は、この働きが顕著に現れたといえます。
魂魄と列記される事が多いのですが、反応を起こす点では類似していても、魂は木の属性で、自己を前面に出して深謀遠慮を駆使する陽の働きをするのに対して、魄は金の属性で、清廉潔白で私心を持たず理非曲直を明らかにし、厳格に本質を獲得すべく無駄を極力殺ぎ落とし収斂させる陰の働きをします。

「精」(水)
生命を継承させる為に、経験を通して獲得した自己保存の能力を保管発揮する働きです。 生きていく中で、様々な経験が腎精に蓄積されます。
獲得した経験が蓄積することで生命力となり、問題解決能力として発揮されます。
この能力が確保維持されている限り、沈着冷静な対応をおこなう事ができますが、経験による精の蓄積が不充分だったり許容量を遥かに超えた状況に遭遇するなどした場合は、”恐れ”や”驚き”として心胆を寒からしめ我を失うこととなります。
”水精”は整理整頓加工処理した能力=「経験」としての記憶を保管するという働きをしています。

「志」(水)
本質的な長期視野に立った生命力を指しており、己を全うすることを第一とし、泰然自若として瑣末な事には関らない性質です。
つまり志とは、精が個々の懸案を処理するのに対し、自己の存在そのものを確保する事に主眼を置くもので、自分を自分としてならしめるための本証を成り立たせる価値基準のことです。
健全な状況では特に問題とはなりませんが、宗教や自然観など信仰に関る場合や、飢餓や戦時下等の特殊な環境下に曝されたりした場合、自らを傷つけたり消滅させたりする衝動に刈られたり、実際に行動を起こすのもこの働きによるものです。

〔反応‐七情〕
「怒」(木)
人が不合理なことに遭ったり、事柄が思い通りにいかないために生まれる一種の情志の激動を意味します。
自己防衛のために、外部からの攻撃に対して反応する気=「怒りを中心とした感情」の変化として表す情動ですが、体内では血の移動という形で反応が現われます。
陽性のものは、血が上にあがり、顔面が紅潮し、感情の昂ぶりを怒りという形で放出するのに対し、陰性のものは、血が下がり、顔面が蒼白となり、内部に鬱積し表情が失われていきます。

「喜」(火)
喜びに顔がほころんだり、「嬉気洋々」などは、喜笑が一種の意が和み・気が暢びる楽しい心情を表現しており、欲求が充足していることを表す情動です。
しかし、欲求が充されている際に気=「嬉しいという感情」の変化が起きるだけでなく、体内では生理機能が活発となる為、その代償として正気が失われていきます。 そのため、正気の消耗と共に、陽実陰虚となりやすくなります。
陽性反応として発散、陰の反応としては体内の正気の消耗という形になることから、喜びの波が通り過ぎた後、空虚感に襲われるのは正気が消費されるためです。

「憂」(土)
思考の中で憂慮する意味であり、憂愁は情志の沈鬱な状態を表しています。
つまり、ある事象について、そもそも対処能力がないのに思い悩んでいる様で、時間的・空間的にも自分の能力では対応できないことを問題視してしまうことです。
ないものをある、出来ないものを出来る、という前提で思考を繰り返し、自ら思考の無限ループの中に入り込んだ状態で、行動に移しようがなくなります。
そのため、精神的にも肉体的にも停滞した状態を引き起こしてしまい、身動きがとれない悪循環となります。
「鬱」とは処理可能な問題を自ら放棄してしまうという前提で引き起こされる情動で、あるのにない、出来るのに出来ないという、思考パターンから引き起こされ精神的・肉体的生理活動が停滞してしまう状態です。
上記「憂」とは動かないという点では同じですが、思考のパターンが逆になっています。

「思」(土)
自ら与えられた条件下で繰り返される、行動が伴わない思考反応のことで、即ち精神集中し、智恵を働かせ、問題を考えることです。
もう一歩踏み込んで説明すると、智に蓄えられた情報を精の経験によって獲得した能力に基づいて魂の深謀遠慮と魄の情報の整理などの能力を活用して繰り返し行う思考活動のことです。
正常な状況の下では、思考を働かせ知能を発揮しても疾病となることはありませんが、過度な思慮は、精神に負担となり、意思も乱れ、思考集中力の減退へと繋がります。
結果として行動を起こすという結論を導き出すことができず、堂々巡りをして、気が停滞し揺れ動く情動となってしまいます。

「悲」(金)
精神に逆らい、煩悩し、感傷に陥って生ずるものであり、喪失した事物に固着して他のすべてを放棄する精神反応です。
また、君主の官である、心気が不足し意志薄弱の人は、いつも悲観的情緒に陥りやすくなります。
つまり時間の経過と共に、形態や状況が変化し新しいものに移行する過程で、失われて行く事象にのみ固執してしまい、現状やこれから訪れる未来への関わりを放棄してしまうという、気=「神気」が沈静してしまった情動の事です。
陽性の場合は、凝縮してしまった気を、腎水の気の働きを得て、涙を流して泣くという感情を表現するという生体反応を通して徐々に暖め潤し、時間の経過と共に解きほぐされて回復して行くことができます。
ところが陰性の場合は、腎水の気との接続が絶たれ悲しみの感情を表現する事は無く、涙は流さず瞬きも間遠となり、生体反応全般に停滞する様になり、回復は困難を極めることになります。

「驚」(水)
心の準備が整う間もなく事件に遭遇した結果、気が散乱して、対応や能力を喪失した時に現われる情動です。
過去の経験則から逸脱した状況や予測していない状況に遭遇して起きるもので、軽度な場合は腎水の気が回復すると共に気が沈静して冷静さを取り戻すことができますが、重度の場合は腎水の気が損傷を受け精を著しく消耗します。
険悪な事態や危難に突然遭遇したり、異常なものを目撃したり、大音響が聞こえたり、予想外のことに出会ったりすると、驚駭がおきます。
その結果として、極端なものでは老化現象が一気に進行したり、重篤な場合は他臓器との接続が絶たれてしまい、心不全や中風など直接生命に関る病状を来たすこともあります。

「恐」(水)
恐怖は、一種の精神上の極度の緊張によって引き起こされる怯えの表現です。
未来に起こるであろう事態にどうにか対処すべく警戒心を持っており、過去の経験を通じて獲得した能力以上の状況に遭遇するであろうと予測し、緊張状態となり、精気を必要以上に消耗しているときに現われる情動です。
軽度の場合は生理機能が減弱する事によって行動・食欲・呼吸・津液などが停滞し心気は亢進する程度ですが、重度の場合は”驚”と同様の症状を現す事になります。
”驚”も”恐”も腎水に配当されており、表裏の関係をなしています。
前者は準備が出来ずに事件が発生して気が混乱するのに対し、後者は事件が発生してもいないのに過剰な準備に気を消耗するので、パターンが逆になります。

上記情報処理過程と情動について説明してきましたが、重要な視点として感情の損益と生命力の損益とは必ずしも合致しないという事を理解する必要があります。

つまり「楽しい!美味しい!気持ち良い!楽チンだ!」等の”快”方向の情動は、一見良いことと思われがちですが、それが長期に渡り持続すると感覚が麻痺してくる様になり、刺激に対する欲求に際限がなくなってしまいます。

一日の行動と休息睡眠や、一年の寒暖熱涼といった盛衰がある様に、好悪・苦楽・禍福の波動が極端に振れることなく陰陽のサイクルを繰り返すのが理想的な姿です。

我々人間は、様々な経験や体験を通じて、感情の起伏を繰り返す事で豊かな人格を形成し、人を思いやったり困難に対処出来る様な精神力を手にすることができます。

適度な起伏を繰り返すことが、重要なポイントで、人が本来なら忌避すべき悲しみや恐怖や恐れなどを、わざわざ書物や映画、ジェットコースターや、肝試し等を料金を支払ってまで体験しようとしていることは、人類に備わったある種の本能的な好奇心に基づく行動なのかもしれません。

更に漢方医学に特徴的な概念として、季節の移り変わりに連動して旺気する五臓の働きと、七情の関係性が上げられます。

例えば春には伸び伸びとしつつ期待と興奮を感受し、夏には開放的で積極活発となり、秋には浮き足立った心を沈め冷静に淡々とし、冬には辛抱強く自らを見つめるような気分になる。

それとは逆に、春に鬱々としやる気が出ず、夏に鈍重で何もせず過ごしていたのに、秋に興奮的になって冬に開放的になり、寒いのに突飛な行動をとったなら、当然生命力を低下させることになります。

長々と記述してまいりましたが、<うつ>という状態を考えたとき、情報を処理する過程で、自らの精神状態に問題があるのか、外部からの情報の量や性質に問題があるのか、肉体の健康が損なわれていないか、感情を発揮するための精神のバランスはどうなっているかなど、様々な要素を考えなければなりません。

また身体に現れる不調は、精神状態とリンクさせたとき、具体的になぜそのような反応を示しているのか、漢方では経絡に現れる現象を観察し、問診を考慮し体質を見極めて治療を行い、実際に経絡に現れている現象を変化させることによって、効果を確認します。

<うつ>に対して鍼灸マッサージをしたならば、患者さんの体に変化がなければ、精神的な変化も得られるものではありません。

治療は実際に不調が見られる場所を伺い、改善したかどうかを確認しながら、一歩一歩行っていきます。

筋の緊張だけでなく、呼吸の状態、声の明るさや反応をチェックし、情緒の方向性を観察します。

<うつ>に対しては根本的な原因となる人との関係性において、情報処理能力を通じて、自らの力で問題解決できるようになれば、完治できたと言えます。

現代医学的な解釈についての一般的な説明はこちら 宇都宮市さくら市真岡市鹿沼市下野市上三川町高根沢町矢板市壬生町芳賀町市貝町益子町茂木町日光市那須塩原市小山市栃木市針

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