古代中国哲学の栄は、まさしく栄養の「栄」と言う意味です。 血との違いが今市はっきりしないように感じられる方も多いと思いますが、血は乗り物のようなイメージでとらえられているのに対し、「栄」は、血にも食物から取り入れた成分を供給する働きをしていると定義しており、その供給先は、五臓六腑だけでなく全身の組織隅々に至ると考えられています。 それほど現代医学と異なるものではありませんね。 ただし、現代と違って、細分化して考えるのではなく、大ざっぱと言うか、広範囲の作用を「栄」と位置付けていると言うことにはなりますが。  霊枢邪客篇によると、「栄気の分泌する津液は、血管の中に注入され血液と化し、経脈の分布に従って流れ、内においては五臓六腑を栄養し、外においては四肢末梢を栄養する。」  霊枢栄気篇によると「栄気の源は食物にあり、食物が胃に入り、消化吸収を経て、精華になった後、肺臓に送られ、内に五臓六腑を灌漑し、外にあっては四肢百骸を栄養する。その中で最も精華な部分は、血脈の中を流れ、循りもどりて止まず。」  また素門痺論篇では、「栄気は、飲食物精気の最も精華の部分で、五臓と調和し、六腑に連なるだけでなくそこに広く流布されて行くものである。これは栄気は経脈に注入され、経脈の至る所何処にでも達し、それ故五臓を貫き、六腑を循る。」などと記されています。